「銀鏡神楽~銀に輝く能舞台~宮崎西都市」国立能楽堂

銀鏡神楽~銀に輝く能舞台~
1年に一度開催される宮崎神楽の会、今年で4回目ですが、お伺いするのは昨年の『高原の神舞(たかはるのかんめ) 国重要無形民俗文化財「祓川神楽」』に続き2度目です。銀鏡を「しろみ」と読むことも恥ずかしながら当日知った次第ですが、正直申し上げて今回の「銀鏡神楽」素晴らしかったです!前回の祓川神楽は野趣味ある舞だったように記憶していますが、銀鏡神楽はより洗練されており、完成度が非常に高い。もちろん神のための舞ですが、パフォーマンスとしても素晴らしいものがあります。これを見ると現在の日本の舞踏、ダンス、演芸全ては神楽(神舞)を経由していると確信せずにはいられません(より遡ると中国の散学から、もちろん全ては同時発展しているのだと思いますが)。

開演は13時30分、会場は12時30分、前回は開演間際に到着して、一番後ろの席だったので少し早過ぎると思われる12時15分頃到着したのですが、すでに70名ほどの行列ができていました!おかげで正面5列目の席に座ることができました(前は全て関係者席)。

神楽披露前に金春流能楽師の四世櫻間金記(さくらまきんき)氏の講演がありましたが、脇能物(初番目、神)と『三輪』の天の岩戸開き、神楽の舞を披露していただき嬉しい限り(むしろが敷いてあり踊りにくそうでした)。文楽、歌舞伎でお馴染みの「道行恋苧環」の杉酒屋お三輪の話もお能の『三輪』から来ているんですね。勉強になります。その他、神は舞えるが鬼は舞えないという話、神舞の際に使用する扇は必ず一面は商山四皓図(中国の四人の隠士の画)、もう一面は桐に鳳凰の図という話、笛が声に聞こえてそれを目安に舞うという話(実際「オヒョーイホウホウ」などと声で笛真似しながら優雅に舞っておられた。そう聞こえるのね。凄い!)も非常に面白かった。

銀鏡神楽の以下の全三十三番から構成されます(三十三という数字も意味深)。今回舞っていただいたのは太字の十一演目。楽器は和太鼓、笛、手平鉦(チャンパ)、板木を使用。最初に出演者、観覧者を清める簡単な儀式がありました。

「星の舞」「清山」「花の舞(結界)」「地割」「鵜戸(うど)鬼神」「幣指(へいさし)」「西之宮大明神」「住吉」「宿神三宝荒神」「若男大明神」「初三舞(はさんまい)」「六社稲荷大明神」「七社稲荷大明神」「神祟(かんし)」「荘厳(しょうぐん)」「柴荒神」「一人剣」「神和(かんなぎ)」「網荒神」「網神楽」「伊勢神楽」「手力男命」「戸破(とかくし)明神」「白蓋(びゃくがい)鬼神」「オキエ」「室(へや)の神」「七鬼神」「獅子舞い」「衣笠荒神」「鎮守(くりおろし)」「ししとぎり」「神送り」

「星の舞」
中国由来の二十八宿を表したもの。二人舞で一人が榊につるした餅を、一人が白布一反を手にして舞います。神楽は前半「上の地」、後半「上の地」に別れ、後半はテンポが早くなります。二人の動きの揃い方もとても綺麗です。國學院大學の小川教授の解説によると神楽には「つま先の舞(お能もこちら)」と「かかとの舞」があるという。銀鏡神楽にようなつま先の舞は胆力が必要ですが、優雅に見えるというのに大納得。ドタドタ音が鳴らないのも良い。

「幣指(へいさし)」「西之宮大明神」
「幣指」は若手による二人舞。左手に扇、右手に鈴を持ち舞います。横に跳ねたり、屈んだり、ウサギのようにぴょんぴょん跳ねたり多様な動きがあり飽きさせない。法螺貝の合図とともに「西之宮大明神」登場。これは宮司が御神面(銀鏡神社の御神体で持ち出し不可のためレプリカ使用)、能のような衣装を付け、一畳を敷き、その中だけで舞います。ご高齢であることが想像され、かなりゆったりとした動きですが、不思議な崇高さ。きっと本場だともっと凄いことでしょう。大明神が去った後、また若手二人の舞(みだれ?)に戻り、さらに激しく舞います。白羽織(千早?)を使って舞うのも面白い。舞手の見目も格好良く、ジャニーズのダンスにも通ずる動きです。素晴らしい。

「神祟(かんし)」
これは年配の男性4人が右手に鈴、左手に太刀を持って舞います。先ほど激しい舞を見た後なので、おじさん4人きつくないか!?と思ったのですが、これも凄かった。かなり激しい動き。皆様寸胴な日本人体型なので安定感が素晴らしい。銀鏡は宮崎でも山の方の地域なので、足腰が鍛えられているのかもしれません。4人が収束し、外側に発散する動きが印象的。太刀を器用に回す動きには拍手が起こっていました。中指、人差し指の二指を前に出すのは修験道の影響でしょうか?

「荘厳(しょうぐん)」「柴荒神」
「荘厳」は天照大神の御田を荒らそうとする須佐之男を弓矢で防ぐ、田の守護を意味する神楽。構成の完成度が非常に高く驚きました。最初は弓、続いて弓矢、さらに矢2本で、最後に2人で違いに弓を持ちかわし、舞います。弓の使い方、弓に矢をつがえる所作も楽しい。続いて「柴荒神(別名はらかき荒神)」と神主が登場。コミカルパートで神主と荒神の問答(最後の「今寿ぐ神の御心」以外聞き取れませんでした)が交わされます。ただ柴荒神の荒々しい動きの中にさえ洗練を感じ、狂言に繋がる流れを感じる一幕でした。最後は神主の一人舞で終了。

「一人剣」
若手による一人舞で最初は右手に鈴、左手に扇、続いて赤襷、さらに小刀を持ち、舞います。全編においてとても動きは激しく、武道のような凛々しさ。小刀が偽物と分かっていても、小刀を両手に持ち前逆でんぐり返りをするのはハラハラします。

「白蓋(びゃくがい)鬼神」「七鬼神」「獅子舞い」
続き楽しい3演目。「白蓋鬼神」は舞台中央上方に設置された天(あま=白蓋)を面棒でつつきながら舞います。白蓋には宇宙万物の種を表す五色の切り紙がを入れた包紙が吊るしてあり、突くたびにハラハラと神が舞い落ちます。最後盛大に散らすと場内からは盛大な拍手。コミカルな動きですが、何気に囃子との調和も取れており考えられています。「七鬼神」は背負った赤子を「ねんねこや〜」とをあやしながらゆっくり歩く老女(演じるのは男性)の後ろに六人の男神が引き続き舞います。舞うといっても棒でつつき合いながら戯れている様子。剽軽な短い舞ではありますが、老女、赤子の性別なども想像すると当時の山里の不穏さも感じさせます。「獅子舞い」は、七鬼神と同様、獅子の後ろに先ほどと同じ六人の男神が続きます。小顔の獅子が転がろうとも絶対手を話さない一人が「山の神」、動物が作物などを荒らさないようにと願う短い舞。

「神送り」
三十三番目の最後の演目で、むしろに乗せた臼を持った二人と杵を持った一人が客席後方から登場。本場では台所に入っていくのですが、今回は舞台が台所の体。台所には白米を乗せた膳を持った祝子が並びます。五穀豊穣と子孫繁栄を願う舞。臼と杵の子孫繁栄は直接的で、日本のお祭りに通ずるか。

解説含め4時間ほどでしたが、舞の美しさや山々の朗らかさに魅了されあっという間でした。小川教授が数多い宮崎神楽でも五指に入るとおっしゃっていましたが、本当素晴らしく感銘を受けました。見ていて簡単そうな舞でも相当な鍛錬をしないとあそこまでの完成度にはならないでしょう。これなら神様も大満足かと思います。機会があれば宮崎に行って夜通し拝見してみたものです。お土産に銀鏡で作った御幣もいただきました。感謝です。

以下解説に掲載されていた神楽囃子、明治頃まで神楽の夜は結婚の見初め場であったという。現代であれば物議を醸す風習でありますが、総じて性に大らかだったいう日本の村の風習を知る上で興味深いです。

とこさいとこ よやさのさ 銀鏡まつりにゃ 出てごじゃれ 宵にちらりと みたばかり さんやさまでも 時日がたてば いつか十五夜 まるくなる 親がやらねば なりゃならぬ そうはおっしゃるな 蜜柑の接木 今はならねど 末はなる 好いて好かれて 行くのが縁で 親のやるのが 義理の縁 義理の縁でも 行かねばならぬ それが世間の 義理ならば 思いきらんせ 男の胸で 鉄のくさりも 切りゃ切れる 俺が歌うたら 向かいからつけた むかしゃちこうた仲じゃもの 逢うて帰れば 千里も一里 逢はず帰れば また千里 こよい逢うたが またいつ逢おか また逢う日をまつばかり

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