『神を見た犬』ディーノ・ブッツァーティ著 光文社古典新訳文庫

『神を見た犬』ディーノ・ブッツァーティ著  光文社古典新訳文庫
表題に惹かれて購入した短編集。訳も容易で読みやすく仕上がっています。始めて知ったディーノ・ブッツァーティ(1906-1972)はイタリア人作家。全体的にダークで風刺の効いたストーリーが多いですが、後から考えてみると実は人間愛に溢れた本だと感じます。昔テレビで放映されていた「世にも奇妙な物語」を思い出しました。

以下22編の短編が掲載されています。
「天地創造」「コロンブレ」「アインシュタインとの約束」「戦の歌」「七階」「聖人たち」「グランドホテルの廊下」「神を見た犬」「風船」「護送大隊襲撃」「呪われた背広」「1980年の教訓」「秘密兵器」「小さな暴君」「天国からの脱落」「わずらわしい男」「病院というところ」「驕らぬ心」「クリスマスの物語」「マジシャン」「戦艦《死》」「この世の終わり」

印象に残ったものをいくつか。

「天地創造」
題名からも想像できるようにキリスト教的世界観のお話。実は地球(と思われる惑星)は天使による《新惑星制作実行委員》が作ったという設定が楽しい。文章中で「人間」というワードが出てくるのは不注意?色々な生物たちが想像されるのですが、それは実物大の紙に描かれるので、バクテリアやクマムシのようなものは無視されやすいというのは人間社会の風刺か。フタコブラクダとヒトコブラクダが最低の趣味らしい(ギリギリ合格)。。。私の大好きな象も長い鼻が笑われ何とか合格。良かった。そして最後に想像された犬、バラ、ノミには輝ける未来が約束される。さらに最後の最後で登場したのが人間(と思われる)生物。嫌悪感をもようおすほど気持ち悪い姿、インテリは何をするかわからんということで一度は否決されますが、楽観主義から何とか合格するのでした。人間が作った神や天使は人間っぽい姿をしていますが、それ以前の神や天使はいったいどんな姿かと想像するのも面白い。パラドックスいっぱいの想像力の膨らむお話でした。

「コロンブレ」
世界中の船乗りたちが恐る野牛のような顔をした謎の鮫「コロンブレ」の話。一度魅入れらたら陸に移動しても決して逃れられないコロンブレ。最後は嬉しさ2割、悲しさ8割な印象的な終わり方。当時は漁師に恐れられていたであろうサメに対する畏怖と優しさを感じるお話。きっと気づかないだけで誰にでもコロンブレはいるのかもしれません。秀作。

「七階」
一階下がるたびに病状が重い患者が収容されるというある病気だけを専門に扱う有名な療養所に悪い方に考える性分のジュゼッペ・コルテが入所。最初の方に「一階ともなると、一縷の望みもなくなってしまう」「ブラインドが下りている部屋は患者が亡くなったばかり」という情報が7階の先入所者から得られますが、案の定看護師の休暇やらなんやかんやと理由をつけられ、叫んでも喚いても無意味、なすすべなく下がっていくコルテ。「ディガンマ線」「細胞破壊プロセス」など物騒な用語も出てきてコルテに同調してしまうとかなり怖いです。舞台化もされた最も有名な作品の1つですが、それほど良いとは感じなかったかも。

「聖人たち」
能力の高い新米聖人ガンチッロの苦労を描く話。苦労しない印象の聖人が苦労するという設定が楽しい。海岸沿いのリゾート地のような場所に一軒ずつ家をあてがわれ快適に住んでいる聖人たち。夏の暑い日、聖人たちが浸かる海水こそ神。とくに大きな奇跡を起こしたわけでもないガンチッロには、嘆願書も全く届かず、何もすることがなく、聖人パン(ちょっと美味しいらしい)をただ食いしている毎日。人間の願望をたくさん処理している他の有名聖人を見ていると自責の念が。注目を集めようと肖像画の瞳を動かしてみたり、バラの花を咲かせてみたり、盲人に視力をよみがえらせたりするものの全くうまくいかない。聖人たちにも苦労があるなら、人間なんてなおさらですよ。そして煙突からたなびく煙もまた神。

ウィキペディアによると、ある教派では実際に聖人認定があり、死後長い時間をかけて調査が行われるという。ジャンヌダルクが聖人と認められたのは489年後!ガンチッロが認定されたのは200年後くらいだったか。興味深い仕組みです。

「神を見た犬」
この本の中では長めのお話。叔父さんの遺産を受け継ぐ条件として5年の間、毎朝、50キロの焼きたてパンを貧しい人に比べなければならなくなった不信心者のデフェンデンテ(実は信心者)が狂言回し。街の人は隠修士が大きな白光を放つのを見ても、神の輝きにすぎないと冷たい反応を示すほど宗教に無関心。そんな人々が、ある晩死んでしまった隠修士が飼っていたガレオーネ(ガレオン船の意味にも理由が?)によりキリスト教的善良な人々になっていきます。犬の行動を見ていると石を投げても全く当たらなかったり、銃で撃たれても復活したり神がかっていますが、何よりも「神のごく一部が、かすかな吐息が体内に入り込んだ」犬だと人々が勝手に想像して思ってしまっていることに意味がある。人前では犬をなんとも思っていない振りをしますが、犬(神)の力を恐れて(気に入られようとして)、こっそり餌をあげたり、悪いこともできない。デフェンデンテもズルもしなくなり、5年過ぎてもパンを配り続け、泥棒はいなくなり、ミサは超満員。犬が死んでも、犬がいたからそうしていたと思われるのが嫌で、もはや自堕落な生活に戻ることができない。神の力が働いていたと思われるのですが、結局は人間のエゴイズムをいかにコントロールするかという問題ではないか。宗教、人間のこと、色々考えさせられる素敵な物語です。イタリアにも犬神という思想はあるのでしょうか。

「秘密兵器」
核兵器より恐ろしいかもしれない説得ガス爆弾は、ガスを吸った人の中に社会主義や民主主義を植えつけてしまうイデオロギーガス。周りの国々を巻き込んだ今後の展開を想像すると、単に冷戦が再び始まったとは考えられません。恐い。

「小さな暴君」
子供と大人の立場が完全に入れ替わる話。天使のように可愛い超性格の悪い子供は読んでいてムカムカします。戦争などより短だからこそ、かなり後味の悪い話。

「天使の脱落」
とても好きなお話でした。恍惚感を味わえる極楽の風が吹き、人間界の農夫たちの心に染み入る牧歌的な歌をりも格段に美しい歌が聞こえ、不幸や嘘のない天国に住んでいる聖人の一人が、人間だったときも上流階級に生まれ裕福な暮らしをしていたエルジェルモ。彼はほんの一瞬、地上の「人生のスタートラインに立ったばかりの若い男女を目の当たりにしてしまったため」、不幸を感じてしまいます。一度不幸を感じてしまったら聖人ではない。神の「天国の最大の欠点は、さらなら希望が持てないことである」という言葉が心に残ります。人間に戻ったエルジェルもは、これっぽっちも幸せではありませんが、素晴らしいものを感じている。ブッツァーティの人間賛歌。

「マジシャン」
これも良い!痩せて骨ばった顔で皮肉たっぷりの歪んだ笑みを持つ謎の人物スキアッシ教授、一番の特徴は初対面であろうと、以前どこかで会ったことがある印象を与えてしまうこと。語り手である作家(という職業)を、作品をじゃがいもに例えたり、民衆の芸術への無関心を説いたりなどして糞味噌にこき下ろすのですが、作家は最後には確信を持って「私たちの小説や、画家の絵、音楽家の曲といった無益な狂気の産物こそが、人類の到達点をしるす、まぎれもない旗印なんだ」と言い切ります。そしてスキアッシは高らかに笑い「やっとわかったか、愚か者」と言い、遠ざかり、亡霊のように消えていく。ブッツァーティが自分の経験をふまえ、自分のために作ったのではないかと思われる話、スキアッシこんちくしょう!と思いながら読んでいた本、絵、音楽好きにもスカッとする話ではないでしょうか。

キリスト教(カトリック)的世界観に溢れた短編集ではありますが、日本人にも理解できる程度の内容。人間の善悪や正負、人間と聖人、人間と犬、子供と大人、生と死、民主主義と社会主義など様々な要素を、通常と逆の発想で描く(人間の汚点を書くことで、むしろ美点を強調するように)ことで、より現実をくっきりとリアルに描いている印象を受けました。ブッツァーティはやっぱり人間大好きですね。たまに海外の作家の本を読むと視点が変わってよいです。とても面白い小説でした。

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