『新内と紅葉狩「瞼の母」新内仲三郎』修善寺あさば旅館

修善寺あさば旅館で開催された「新内流し」の催しを拝見いたしました。日本の伝統芸能好きとして恥ずかしいことですが、この催しをきっかけに知った「新内節」、あさば旅館の説明からそのまま引用。

江戸浄瑠璃の一つ。富士松薩摩掾が延享二年、富士松家を創始したのが始まりとされる。心中物を得意とし、「泣き語り」と呼ばれる哀切な節回しが庶民の人気を集めた。三味線を引きながら市中を歩き、客に招かれて語る「流し」が有名。歌舞伎や時代劇にも登場する。

2人1組が通常で、吉原を中心に街頭を流していた名残から頭は吉原被り。
新内と紅葉狩 瞼の母 新内仲三郎
『瞼の母』の前の前奏のような語り。内容はよくわかりませんが、後ろには能舞台、情景の美しさも相俟って新内仲三郎さんの心の響くお声。船頭さんのバランス感覚や棹の操り方も見事です。

石舞台へ移動し『瞼の母』の語りに入ります。2017年十二月大歌舞伎座で拝見したことがあったため内容も知っていて良かったです。
新内と紅葉狩 瞼の母 新内仲三郎
歌舞伎から離れた生まれたためか、情景描写は節を付けて、台詞も多いのですが、その部分は節を付けず普通に語るのが新鮮で面白い。三味線は中竿、義太夫節などと比べて内容も聞き取りやすいです。太夫は地の部分の三味線を、三味線弾きは、上調子を受け持つそうな。こってりとした義太夫節に対し、関東生まれの新内節は粋でしっとりと聞かせます。

作者である長谷川伸の実体験から生まれた『瞼の母』、今回の新内節では20分ほどの内容、実際の物語よりも番場の忠太郎母「おはま」が冷たい印象だけに、忠太郎の悲哀が際立ち、「逢いたくなったら、目をつむらぁ」の叫び(泣き語り?)は心が締め付けられる。余韻をたっぷり残して忠太郎はまた旅に出ます。当時はおそらく誰もが知っていたであろう『瞼の母』、聞き手に情景を浮かばせるかが腕の見せ所でしょうか。そのための契機となる節のある語り部分の配分が素晴らしい。

その後温かな室内へ移動し、お話と『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』を少しだけ披露していただきました(落語の明烏もこれをベースにしているという)。
明烏夢泡雪 新内仲三郎
内容は男女の色恋、艶っぽいものですが、語りはあくまで冷静で素敵。素晴らしい芸を絶やさぬようオーケストラやフラメンコなど異分野とのコラボレーションも積極的に行われているそうです。新内仲三郎さんが自虐的に「新内って今は誰も知んないんです」と洒落ておっしゃっていましたが、これを機会に新内節の公演にも積極的に足を運びたいと思います。短い時間でしたが、特別な空間で名人の芸を拝見できたことを感謝いたします。

パンフレットには明烏と並ぶ新内節の名曲『若木仇名草 蘭蝶』の「縁でこそあれ末かけて 約束固め身を固め」の一節が新内仲三郎さんの味のある筆跡で印刷されていました。是非実際に拝聴してみたいものです!

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