国立劇場で行われた第163回舞踏公演「京舞」を拝見しました。まずロビーがいつもと全然違います。着物率が異常に高く、飛び交う京言葉と接待の雰囲気。京都って本当独特、オリジナリティーあります。凄いです。ちなみに京都で発展したことから「京舞」と呼ばれる日本舞踏は井上流、篠塚流があるそうで、本公演は井上流。
上方唄『京の四季』
上方唄とは「上方端歌」とも呼ばれる 京阪都市部の三味線音楽だそう。舞妓さん8名、2人1組による華やかな手踊。8色の振袖も美しい。京の四季を艶とユーモアを交えながら後ろに控えた芸妓の皆様が三味線に合わせて歌います。歌詞にやや先行するように思える振り付けは直接的でとても分かりやすいです。1階前から5列目の席でしたが、何ともいえない香り(白粉?)も素敵です。客席も一気に京都のムードに変わったよう。
春は花 いざ見にでんせ東山 色香あらそう夜桜や 浮かれ浮かれて 粋も無粋も物がたい 二本差しても柔らこう 祇園豆腐の二軒茶屋 みそぎぞ夏はうち連れて 川原につどう夕涼み よいよい よいよい よいやさ 真葛ヶ原にそよそよと 秋ぞ色ます華頂山 時雨を厭う傘(からかさ)に 濡れて紅葉の長楽寺 思いぞ積もる円山の 今朝も来て見る雪見酒 エエ そして櫓のさし向かい よいよい よいよい よいやさ
義太夫『芦刈』
人形浄瑠璃『津国長柄人柱(つのくにながらのひとばしら)』1727年初演−今は絶えていると思われますが−の五段目、橋の人柱として沈められた父親の仇を討つために娘が芦刈女に変装し、仇に近づくという話と能の『芦刈』を合わせた、何故か男舞。義太夫と書かれていますが、長唄のような印象を受けます。扇、傘を使って舞います。小鼓の使い方が面白い。
地唄『通う神』
通う神は道祖神の意。遊女は文が妨げることなく届くようにと願いをこめて文の封じ目に「通う神」と記したというのが切なくも素敵。神と紙など言葉遊びが面白い京唄です。途中で唄の調子が代わり飽きさせません。
田毎に映る月影ならで 夜毎に変わる枕の数の 中に粋あり無粋あり すまぬ心に澄む月の 何が辛気の種じゃやら 尻目遣いもよそにして まかせぬ首尾を訳あるように 愚痴なせりふが恋の実(じつ) 末は野となれ山水の 神に縁をまかせなん
舞自体はあまり印象に残っておらず、非常に済まぬ心です。
一中節『松羽衣』
またまた分からないワードの「一中節」は浄瑠璃の一種。浄土真宗の元僧侶が極楽浄土を音楽で現す目的で始まったそうです。都太夫一中(1650~1724)が京都において創始。中棹三味線で、全体的に上品かつ温雅、重厚に語るのを特徴とするそう。国の重要無形文化財です。
題名からわかるように、お話はお能の『羽衣』と同じなので分かりやすいです。舞台も簡易的な能舞台のようなもの、作り物も下手全前方に赤い羽衣が掛かった松立木台が設置されます。天人を演じたのは井上豆千鶴さん、着物の襟に挟んであった扇が外れかけた時はドキドキしましたが、奥ゆかしさ中の憂いのある表情がとても美しい。能にかなり忠実ですが小鼓、大鼓、太鼓に和太鼓、三味線が加わるのが興味深い。
地唄『梓』
能の『葵上』がベースですが、元東宮妃の高貴な女性を遊女に見立てているそう。舞台上の衣桁に打掛が掛けられており、打掛が落ちると死霊が後ろから登場。詞章は恨み節が続きますが、演奏に筝が加わることで、おどろおどろしさは減り、雅さがグッと増しています。途中で打掛を使ったダイナミックな動きが見所でしょうか。終盤に見せる「後妻打(うわなりうち)」とは、夫が離縁して後妻と結婚するとき、先妻が予告した上で後妻の家を襲うというとんでもない風習のこと。最後は後妻打で気分がスカっとしたのか、調伏により消えていきます。
義太夫 上方唄『三つ面椀久』
京舞井上流家元の井上八千代さん(五代目で人間国宝)が登場。能楽師の観世銕之丞さんお奥様なのですね。軽妙かつ剽軽な舞でとても楽しい。娘の井上安寿子さんが面売りをつとめます。歌舞伎では『二人椀久』がお馴染みですが、今回の方が椀久が狂っているという設定で実話に忠実でしょうか。ただこの話も、今は絶えていると思われる三世中村歌右衛門初演(1823)の『千草の乱れ咲』が原曲だそう。
椀久の装いは大黒頭巾に十徳、これは上方のお大尽の様相、鯛に笹の着物の柄も面白いです。最初に6人の可愛らしい女童たちが登場。椀久を囃し立てます。肩と首をクイクイッと動かす振りは狂いを表しているのでしょうか。人形浄瑠璃的なキビキビした動きに滑稽味、能舞を感じさせる上半身の振れの無さの合わせ技が凄い。辛そうな舞が続きますが、軽々とこなしていかれ(るように見える)ます。大きな見所は「大尽」「太鼓持」「傾城」の三つ面の早変わり、面は口で固定できる「くわえ面」、お顔が小さいので面を付けた姿が全く違和感なく、踊り分けも見事。詞章にはかなり際疾いものもあるが、下品に聞こえさせません。3人の台詞は、3人の女流浄瑠璃の太夫に語られわかりやすい。大尽を担当していた方が凄まじく巧くて聞き惚れた。心に染み入る超絶的なお声と節回しです。小さい体からどうやったらこんな力強いお声が、、、凄すぎる。後で調べてみるとこの方の正体は竹本駒之助さん、御年84歳くらい、人間国宝でございました。ここにも稀有な名人芸有り。この方の語りはもう一回聞きたい!特に面を使った件は笑わせる所ではあると思うのですが、女童と同様に狂った人を笑っていいのか、という妙な緊張感が面白く思います。笑いの中にも感じずにはいられない椀久の気品と哀愁、京舞自体初めて見たにもかかわらず、これが京舞の醍醐味と感じさせる素晴らしい一幕でした。
手打『廓の賑 七福神 石橋』
最後の一幕も素晴らしかった。「手打」とは、年度の始まりの芝居小屋の顔見世興行で、役者衆を迎える祝儀として贔屓や馴染みの人たちが行ったのが始まりという。今は滅多に行われないということでとても希少な機会に恵まれて嬉しく思います。舞台下手では5人、花道から17人の芸妓が拍子木を打ちながらゆっくり登場、拍子木の単純な音ではありますが、3つのリズムを上手く重ねて演奏します。京舞のチラシの写真もこれを後ろから撮影したもの。舞ではないのですが、井上流の名取が行うという暗黙の決まりがるという。
花道の殿、木頭を勤めるのは芸妓の井上小萬さん、1人だけ違うリズムを取るのはなかなか大変でしょう。とてもお美しいです。芸妓たちが声を揃えて語る部分と、囃子方が歌う部分の組み合わせも楽しい。題名の通り賑やか、華やかというよりは気品と艶ややかさを感じる京都らしい舞台、そしてあの心地よい香り。おめでたい尽くしの『七福神』『石橋』に「アリャアリャアリャアリャ」とか「エッサッサ」という独特のニュアンスを感じる囃子は思わず笑みが溢れてしまいました。最高。
歌舞伎、能、人形浄瑠璃、舞楽などあらゆる要素を取り入れながらも、猥雑にならず、京の伝統と誇りでまとめあげている印象。そして京舞に漂う「優雅」さというものは「誇り」が無ければ感じさせることはできない趣ではないでしょうか。素晴らしい。東京とは全く違う、時間の流れと言葉のリズムなど、ほんの短い時間ではありましたが京の雰囲気を堪能させていただきました。最近全く京都へ行けてないので、来年は必ずや(東京オリンピック後)。21年振りの東京公演という貴重な公演を良席で拝見できたことに感謝いたします。
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