『陸軍特別攻撃隊1, 2, 3』高木俊朗著 文春文庫

『陸軍特別攻撃隊』高木俊朗著 文春文庫
日経新聞の日曜朝刊「NIKKEI The STYLE-名作コンシェルジュ」で知ってすぐにキンドルで購入させていただいたノンフィクション小説。全3巻、約1500ページの大著ですが、約一ヶ月かけて読了。著者の高木俊朗さん(1908-1998)は太平洋戦争中に陸軍航空本部映画報道班員として従軍し、それがこの本を著す強い動機となっています。ぼんやりとしかイメージできない太平洋戦争から終戦、特攻隊の多くの真実を知ることができる素晴らしい内容でした。世界的に有名な神風特攻隊は海軍航空隊による編成、この本は陸軍航空隊により編成された特攻隊のノンフィクション。海軍と陸軍の違いがあることすら初めて知りました。

『陸軍特別攻撃隊1』
1944年(昭和19年)10月、海軍の特攻隊に続いて編成された海軍初の特攻隊「万朶隊(ばんだたい)」(編成:鉾田教導飛行師団、機種:九九式双発軽爆撃機)と「富嶽隊」(編成:浜松教導飛行師団、機種:四式重爆撃機装備)」の隊員がこの物語の核となっています。

万朶隊という「部隊」で行動するのですが、実は隊員は個人として第四航空群に「配属」されているのは、部隊は天皇陛下の命令によって編成されるため。天皇陛下に堂々と説明できない非道な戦法と軍が理解していたことの現れです。私は天皇制には賛成ですが、この戦争時代を思うとそのふわふわとした掴み所のない存在に疑問を感じずにはいられません。

そして現在では楽しいライブなどが行われている日比谷公会堂で『一億憤激米英撃砕国民大会』というイベントが行われ、日本軍の虚偽報道を信じ、熱狂する市民は皇居前まで大行進。たった70数年前のこと。これから敗戦する1年後までの浮き沈みが凄いです。

万朶隊の隊長「岩本益臣大尉」はずっと特攻の無意味さを訴えていたという。著者が「死の触覚」と例えた機種に取り付けられた3mの起爆感、取り付けられた爆弾は投下ができないように改造された悪魔的な特攻機ですが、岩本大尉は独断で、自分で爆弾を投下できるように改造する。これがどんなに勇気のいることか。死ぬよりも生きることに勇気がいるのが当たり前となっている不可思議。岩本家の最後の晩餐は、辛い。「泣いてもいい?」「いいさ」「もう、明日からは泣きません」という時代を感じさせる岩本夫妻のやりとりは胸が締め付けられます。

フィクションなら岩本大尉は華々しく散っていくか生き残るかすると思うのですが、特攻する前にあっけなく死んでしまいます。しかしその意思は9回特攻に出て生き残った「佐々木友次伍長」に引き継がれていきます。

『陸軍特別攻撃隊2』
陸軍史上最悪の軍人と言われる「富永恭次第4航空軍司令官」はじめ陸軍の愚行が繰り返される第2巻。軍部の甘い考えにより死んでいく人々、爆撃される飛行機。私は特攻機はパイロット1人しか乗っていないと思ったのですが、整備兵や通信兵が一緒に乗らなければいけない機種もある。全く余計な死ではないのでしょうか。皆十代から二十代の若者、本当理由無く死に過ぎ。特攻が成功したことをしっかり見届けることは不可能で、特攻から帰ってきた隊員は生きているのに死んだことにされる場合も多々あったとか。そんな隊員は、病気にもかかわらず、無理やり再出発させられる正に「処刑飛行」。現場に着いてから特攻を命じられる隊員も多く、決して全員が志願という訳ではない。攻撃とはいえ死ににいく訳ですから恐くて途中で引き返す隊員も多いのも当たり前です。しかもほとんどが途中で迎撃され、船に命中したとしても沈没などは極稀という低確率。自分がその立場に立たされたらどうなってしまうか、考えるだけで恐怖です。戦争が終盤になるにつれ、いよいよ統率は乱れ、命令系統は無茶苦茶、現場に近い軍人ほど被害を受けるという最悪の流れとなっていきます。

『陸軍特別攻撃隊3』
最後の巻では、主に陸軍史上最悪の軍人と言われる富永恭次第4航空軍司令官のルソン島から台湾への逃亡劇が中心に描かれます。昔のことであることと、軍の体質から真相は謎に包まれており、著者の想像による部分も多いですが、逃亡劇を仕組んだとも言われる隈部正美参謀長と富永軍司令官の考えや行動の推理は上質なサスペンスのような緊迫感があります。とにかく著者が富永氏を心の奥底から大嫌いというのがよく伝わりました。

心身共にボロボロになり命からがら日本に帰ってきた軍人に石を投げ、罵声を浴びせる国民。特攻隊は国賊という謂れのない非難、帰ってきた特攻隊員に暗殺の命令を出す軍部とか最悪の日本が露呈する戦後。「最後の一戦で本官も特攻する」と言いながら真っ先に逃亡した富永軍司令官や憲兵。市民も軍人も本来ならば大本営など上に向けられる怒りのやりどころの無さ。佐々木伍長も激しい怒りを感じながらも、結局は無駄だと諦めてしまいます。このあたりは上の立場の人が好き勝手やってしまう日本人らしさか。今ならば愚かに感じますが、もし自分がこの時代に生きていたらというより、もはや今の時代に生きている幸せを感じます。佐々木伍長が北海道の自宅に帰った際、「黒い、小ささものが飛び出してきて」と喜びを爆発させる母に対し、「お前らがだらしないから、いくさに負けたのだ。」と言う父。この対比はむしろ女性の強さを感じさせます。最後は戦士した少尉の妹の手紙で終わりますが、事実故にその真摯な言葉が心に奥に沈んでいきます。

そして『<補遺>隈部少将の自決』がまた素晴らしい。終戦の日、家族全員と愛人、その弟と共に自決した隈部少将。自分一人で死ねばいいのにと思いますが、読み進むにつれて複雑な事情が明かされていきます。とはいえきっと家族は死ななくてもよかったと思うのですが。軍とかスパイとか色々怖い。実は暗殺?そして、これが実際の出来事ですからなおさら怖い。

言葉で書こうとするとグチャグチャになってしまいますが、たった70数年前の出来事。極限状態になると一人一人の命や意見は軽んじられる。歴史は愚行を繰り返さないために学ぶと言いますが、日本人ならば知っていなければいけない、そして決して忘れてはいけない現実です。現代は人間の制御できなさそうな技術が色々開発され、物騒なニュースも多く、この平和があと100年続くとは思えません。先端技術の暴走を防ぐためにも古来から人間が大切にしてきた想像力が必要なのでは。発行人は柏原光太郎さん、流石です。素晴らしい名作でした。

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