『江戸の夢びらき』松井今朝子著 文藝春秋

『江戸の夢びらき』松井 今朝子著
歌舞伎の公演がお休みなので、読書で歌舞伎を楽しみます。2020年4月発売の新刊で、初代市川團十郎の物語です。5月から始まる予定だった「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」に当て込んでのタイミングということも想像されます。

物語は團十郎の妻「恵以(後に出家して栄光尼)」の目線から描かれるのは著者が女性だからでしょう。物語は「風縁の輩」「寵児の果て」「仕組まれた縁」「夢の扉」「字義の弁」「今日の水 江戸の風」「身替わりの子」「天譴の証」「僭上者」「不審の輪」「魘夢」「巣立ち」「奇禍」「江戸の夢びらき」の14段から。これだけでも、なんとなく流れがわかりますね。創作による部分がかなり多いと思うのですが、「へ〜ヘ〜」と物語自体よりトリビア的な面白さが多いです。

例えば花道(この話の時代には花道は考案されていないので能と同じく「橋掛かり」と呼ばれている)の引っ込みに使われる「六法」が旗本奴(侠客)の六法組が闊歩していた姿を写したものということや、歌舞伎十八番の『鳴神』が能の『一角仙人』を元にした『門松四天王(かどまつしてんのう)』(1684年初演)から始まったこと(現行で上演されている『鳴神』は、1742年に大坂で上演された『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』がもとらしい)。人形の顔がぐちゃぐちゃになるほど激しいという金平(きんぴら)浄瑠璃もいつか拝見してみたいものです。

名前に付いても、幼名が「海老蔵」で、段々の上達する願いを込めて「段十郎」だったのが京都の評判記で「團十郎」に書き間違えられていたことから改名につながったとか、妙に納得(「團」は団子の「団」で、丸めるという意味の「搏」の字に由来)。

今は現在定番になっているものが初めて登場した時はちょっとした感動があります。例えば成田山新勝寺の本尊である不動明王の申し子である團十郎が初めて不動明王の姿の真似て見得を切る場面や、『遊女論』(1680年初演)の中で好評だった『鞘当』の場面と「鳴神上人」を一緒にした『不破即身雷(ふわそくしんのいかずち)』(1686年初演)上演の際に初めて登場した迫(せり)の機構、1697年上演の『参会名護屋(さんかいなごや)』で産声を上げた『暫』、『兵根元曽我(つわものこんげんそが)』(1697年初演)で息子の市川九蔵と一緒に不動明王を演じた際、見物席から多くの賽銭が投げられ、これを機に「成田屋」という屋号が使われ始めたこと(ウィキペディアによれば、成田山新勝寺への感謝を込めた演目『成田山不動明王』(1695年初演)で團十郎が初めて不動明王を演じ、これを機に「成田屋」を屋号として使い始めた)、三升の紋は当たり役である不破伴左衛門の衣装の雷文の渦巻きに由来し、「見ます」の語呂合わせも楽しい。次男が事故で亡くなった後の『大日本鉄界仙人(だいにほんてっかいせんにん)』(1700年初演)での九蔵の宙乗りなど(宙乗り自体はもともと存在していたが奇芸として扱われていた)、初代市川団十郎(三升屋兵庫)が創始したものは極めて多いのに驚きました(真偽不明ですが)。

1年間の京都生活では初代坂田藤十郎との対面が面白い。何度見ても飽きられない写実性を追求した藤十郎と非現実的な驚きを追求した團十郎、和事と荒事、二人の性質の対比が興味深いです。この物語では團十郎の舞台は京都の人々に驚きをもたらし、賑わったと書かれていますが、実際はあまり評判が良く無かったよう。今でも京都は別の国と感じるくらいですから、300年前なら文化の違いはなおさらと想像されます。

物語が進むうちに起こる世の中の変化との関連も楽しめます。徳川綱吉による「生類憐みの令」、1701年の石井兄弟による「亀山の仇討ち」、『忠臣蔵』の題材となった1702年の「赤穂事件」、團十郎が楽屋で宝井其角に紹介された俳人春帆が実は赤穂浪士の富森助右衛門だったという話は、宝井其角と大高源吾の出てくる『松浦の太鼓』を思い出させます。そして1703年(元禄16年)11月23日午前2時頃発生した「元禄地震」の二次被害で消失した市村座の再建築が、團十郎一家の人生にも大きく関わってき、ついに生島半六により刺殺。

続いて17歳で二代目を継いだ九蔵の話へ。「江島生島事件」により山村座が廃座になったり、富士山が噴火したりと激動ですが、大和絵の技法から着想を得た隈取りを発明し、『花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)』(1713年初演)でついに「助六」登場!序盤に登場した厄介侍「髭の十」が「髭の意休」のモデルだったのはナイス伏線回収。無駄に話に出てくるなと思ったのには理由がありましたね。最後は『暫』『矢の根』と歌舞伎十八番の荒事で〆るのは良い流れ。江戸歌舞伎の基礎を作ったとも思える團十郎、凄まじき方というのは理解できました。

詳細がわからない時代の、詳細がわからない人物の一生を描くのは大変な難事業。物語本体となるとあまり完成度の高いものではない気がいたしますが、江戸初期後半の喧騒、中期へかけての世の中の変化などもよくわかり、著者の松井今朝子さんの知識の深さと優しい眼差しをひしひしと感じます。歌舞伎、江戸時代好きとしては非常に面白く拝読させていただきました。これを読めばいつか公演される「十三代目市川團 十郎白猿襲名披露」がより楽しめることは間違いありません。

あぁー、早くこの目で歌舞伎や色んな演劇が見たいものです!

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