『江戸の思想史 人物・方法・連環 』田尻祐一郎著 中公新書

『江戸の思想史 人物・方法・連環 』田尻祐一郎著 中公新書
荻生徂徠のことを知りたくて購入。キンドルだと荻生徂徠のみに絞った本などありませんので、こちらを購入。

まずは「イエ(家)」について、日本独自の考え方として「本質的には一つの経営体であって、経営体としてのイエの維持と発展とが自己目的となっている。」という。それは江戸幕府が−主にキリスト教を取り締まるためと思われる−宗教政策の一貫として「寺檀制」が確率したことと大きな関わりがある。ちなみに現在の彼岸の墓参りや盆の法事もこのころからの風習だそうです。祖先崇拝という側面もありますが、これは祖先を崇拝しながらも、自分も崇拝されることを願うことでもありますね。祖先崇拝の側面は儒教とも親和性があるか?死んだ人を「仏」と言うのもこのころからか?

そして「出版」が広まったのも江戸時代、これにより日本に儒教などの学問が大きく広がります。朱子も出版を有効に利用して朱子学を広めた話を思い出しました。これにより知識人には蘭学が広まったようですが、一般人には宗教より道徳的な儒教の方がわかりやすいか。

江戸の思想家が順に紹介されるのですが、気になった方々は以下。

「不干斎ハビアン(1565-1621年)」イエズス会の修道士、儒者の林羅山との論争による批判が面白い。神道は「夫婦交懐の陰陽の道」、儒教は「虚無自然の無極を根本」とし「有智有徳の能造の主」を知らず、仏教は「運命をつかさどり玉う主一体まします事」を知らなず。しかしキリシタンは「貴きデウスの御名に」誓約するから、臣下が主君を裏切らないという理論。この時代どこまで日本書紀や古事記が浸透していたかは不明ですが、多くの日本人に一神教は受け入れにくかったよう。パライソという概念は状況によっては魅力的に映るかも。そういう私もある程度の理解はできるものの、特に欧米のキリスト教ありきの哲学は腑に落ちません。この人、最終的に修道女と駆け落ちして棄教し、キリシタン迫害にまで協力した不思議な人物。

「日奥(1565-1630)」法華経の僧、「不受不施」を貫き通した人。江戸幕府からも布施を受け取らず、幕府に逆らったとして2度も島流し。2度目は決行前に死んでしまったため骨を流されたという不屈の人物。桃山・寛永文化を支えた長谷川等伯、本阿弥家、狩野家などが外護していたのが興味深い。

「山本常朝(1659-1719)」佐賀藩の武士。武士の心得を述べた『葉隠』が有名(知りませんでした!)。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一文が有名で、誤解から軍国主義的書物と考えられ一時は禁書扱いもされたそう。武士道を恋に応用した「恋の至極は忍恋と見立て候。逢いてからは恋のたけが低し、一生忍んで思い死する事こそ恋の本意なれ。」という考え方が凄い。反骨の人。

「鈴木正三((1579-1655)」三河武士後、曹洞宗の僧侶。「心こそ 心まどわす 心なれ 心に心 こころゆるすな(沢庵禅師の言葉?)」、まずは身体への執着から離れることが大事と考え、人間の体を糞袋、蛆袋とまで言った激烈な性質。

「中江藤樹(1608-1648)」近江出身の陽明学者。世俗的な人間界を「夢幻」と捉える仏教に対し、より生活に根ざした儒教に系統。架空の「太虚皇上帝」は生命の根源で人倫の太祖という考え方はちょっと無理があるか。「親と子と一倫なり、君と臣下と一倫なり、夫と妻と一倫なり、兄と弟と一倫なり、ともだちのまじわり一倫なり、これを五倫という」考え方はなんとなく共感。

「山崎闇斎(1619-1682)」神道と儒教を統合した垂加神道を創始した学者。その思想は後の尊王攘夷論、国粋主義につながるという。禅も心を重要視するが、社会的な広がりがもてない。「心敬すれば、則ち一身修まりて五倫明らかなり」という言葉に表れています。

「熊沢蕃山(1619- 1691」から体系をもって経世論が展開される。経世論とは「経世済民=世をおさめ民をすくう」で、本来は現在の経済とは違う意味ですが、江戸後期になるにつれ生産消費売買などの意味合いが強っていくという。

「伊藤仁斎(1627-1705)」京都生まれの儒学者。「論語は最上至極宇宙第一の書であり、孟子は論語の津筏(しんばつ=手がかり)」ということで論語に肉付けし、朱子学を形成した朱子を批判。朱子は「仁」を「愛の理」と定義したのに対し「仁は畢竟愛に止まる」と唱える。要は理屈じゃない!ということ。論語の「忠恕」という言葉にしても朱子は「己を尽くす、これを忠という、己を推す、これを恕という」のに対し、仁斎は「己の心を竭尽するを忠となし、人の心を忖度するを恕となす」、要は思いやりってことかな。人間らしくて好きです。

「貝原益軒(1630-1714)」筑前国の武士で儒学者。この方の「病気にならないように養生し、善を楽しむ」という考え方も共感。天地の働きは「生物」で、天地の働きに感謝し、節制して長生きして知見を広め、生を「楽しみ」和らいで天寿を全うすべきだという。

「安藤昌益(1703-1762)」秋田藩出身で、農業を中心とした無階級社会を理想とした人。儒教の根底にある「賢愚の序列と身分の上下は対応している」という考え方を否定。夫婦が一緒に耕作し、夜は夫婦が交わって子をなす。人間の精力、夫婦の性の力は「米」のエネルギーの表れ、穀の精神自らあらわれ、男女と生り、終に感合して子を生むなど自然的、社会主義的な考え方はかなり先進的ではないでしょうか。お米大好きなので何だか嬉しいです。

「二宮尊徳(1787-1856)」相模国出身の思想家、ご存知二宮金次郎です。尊徳が説いた報徳思想は、経済と道徳の融和、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されるという考え。「豊かでありたいと願うことは欲望であるが、同時に欲望の自制でもある」という言葉は深い。

「本居宣長((1730-1801)」伊勢国松坂、木綿仲買商の小津家出身の学者。源氏物語を題材にした「もののあわれ」論が素敵。それが昔から使われていたことの例に上げられた歌が良い。「恋せずば人は心もなからまし物の哀も是よりぞしる」藤原俊成、「人の哀なる事をみては哀と思い、人のよろこぶをききては共によろこぶ、是すなわち人情にかなう也、物の哀をしる也」「人は死候えば善人も悪人もおしなべて皆黄泉の国へゆくことに候」と非常にシンプルな考え方に共感します。

そして、江戸も後半になってくると「本田利明(1743-1821)」のカムチャッカ国家建設論など、日本の神国家による過激な考え方が目立つようになってきます。「平田篤胤(1776-1843)」は、宣長の本を読んで国学に目覚めたという。死後は皆黄泉へ行くと考えた宣長に対し、「死後は幽冥界へ行き有縁の人生を見守る」と説いた。子孫だけでなく、学問に生涯を捧げた人なら学問の世界を見守るという考え方は良い。

「会沢正志斎(1782-1863)」後期水戸学を支えた水戸藩士。尊王攘夷の思想を理論的に体系化した「新論」は幕末の志士に多大な影響を与えたそう。「今慮(西洋人)は民心の主なきの乗じ、陰に辺民を誘い、暗に之が心を移さんとす。民心一たび移らば、則ち未だ戦わずして天下既に夷虜の有と為らん」という考え方は、現代にも通ずる。儒学思想を中心に国学、史学、神道を結合させた水戸学は日本人であれば誰もが守るべき道を個々の宗教を超えるものを作り出そうとしたというが、仏教と同じように、現代の日本人の生活に馴染んいる部分も多いと想像されます。

著者の構成の仕方もあるかもしれませんが、江戸から明治、昭和の戦争につながる流れを感じずにはいられません。朱子学を否定している人が多いのは逆にその影響力の高さを物語ります。完成度が高い故(単なる中国(清)への対抗意識?)とも考えられるか。本来の儒教、論語をベースに日本的な考え方を加え再構築するのは自然な流れでしょう。肝心の荻生徂徠の思想はあまりしっくりこなかったですが、自分の気にいる考え方だけ摘み食いできるのは現代人の強み、情報量が多過ぎると取捨選択が難儀ですが、やはりメリットの方が大きいように思います。色んな考えがありますが、本当皆仲良くして欲しいです。

まとめっぽい感じの本でしたが、大好きな江戸時代の思想が研磨されていく流れがわかり面白かったです。最後に紹介されていた天理教、富士講などの民衆宗教も興味深く拝読いたしました。一番考え方に共感したのが同郷でもある本居宣長、現在小林秀雄の『本居宣長(上)』を読んでいますが、いつ終わるのやら、むづいです。。。

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