3月定例公演 狂言『蜘盗人』能『景清』国立能楽堂

3月定例公演 狂言『蜘盗人』能『景清』国立能楽堂
表参道から道を間違えて神泉、代々木をグルっと回って徒歩で1時間30分かけて国立能楽堂まで移動、お馴染みの喫茶店「泥人形」で休憩した後、国立能楽堂で3月定例公演 狂言『蜘盗人』能『景清』を拝見しました。

配役
3月定例公演 狂言『蜘盗人』能『景清』国立能楽堂

狂言『蜘盗人(くもぬすびと)野村萬(和泉流)』
連歌の初心講を任された男が、準備するお金が無く知り合いの有徳人の家に盗人に入り、でっかい蜘蛛の巣に引っかかって動けなくなるというぶっ飛んだ設定がまず楽しい。ノコギリで柵を糸を切る「ずかずかずかずか」という擬音が独特で、蜘蛛の巣に引っかかっている野村萬さんが面白過ぎ。完全にコントだわ。「蜘蛛の家に 荒れたる駒は つなぐとも ふた道かくる 人は頼まじ」、有徳人の出した上の句「蜘の家に かかるやさしき 忍び妻」に対し「切るに切られぬ ささがにの絲」と見事な返しで切り抜けますが、有徳人に顔を見られないように帰ろうとして案の定見つかってしまいます。有徳人の「萬!」は爆笑。酒を振舞われ、小袖までもらい、「京から下る小山伏 肩にからかさ お手に数珠 腰に法螺の貝 袂に恋の玉章」の小舞まで披露され、とても朗らかな雰囲気の狂言でした。

能『景清(かげきよ)浅見真州(観世流)』
それほど多くはないですが、今まで拝見したお能の演目の中では、一番演劇的、歌劇的な印象。演目が始まる前の「お調」からして、ちょっと劇的。ツレの人丸(不思議な名前)の台詞(謡)もほぼ分かりやすい節が付いているのが興味深く、衣装も。景清の出、目張りされた藁屋の中の「松門の謡」が凄かった。「松門独閉ぢて 年月をおくり みづから清光を見ざれば 時の移るをも弁へず 暗々たる庵室に徒らに眠り 衣寒暖に与へざれば 膚は骨と衰へたり」という詞章、耳から聞こえているはずなのですが、地の底から、自分の内から響いているような不思議な心地、景清の悲しみを想像すると思わず涙が。

表現が最小限なこともあり、あれだけでよく自分の娘だと気付けたと驚きましたが、もともとの身体能力が高い上、「目は見えないが、人の思いは一言でわかる」というように視覚以外の感覚が非常に優れているのかもしれない。景清は完全に時空を超越していた。松風を感じ、雪や花を見る場面はもちろん、平家全盛の御座船に乗る様子を語る場面、胡座をかいているだけなのだが空気が変わるのが凄く、「麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり」への落差も凄い。錣引きの場面でも、一気に若返り力漲りますが、幻想を見せられたのかと錯覚してしまうほど。親子の最後の別れ、人丸の背中を優しく押した後、人丸は橋掛りで振り返ると思ったら振り返らない。揚幕から退場するまでずっと景清が景清だったのは良かったな〜。

2019年11月に国立劇場で歌舞伎の『孤高勇士嬢景清―日向嶋―』を見てから、ずっと体験してみたいと思っていた『景清』、期待に違わず、とても素晴らしい演目でした。

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