「神田日勝 大地への筆触」東京ステーションギャラリー


6月2日から再開した東京ステーションギャラリーで開催中の「神田日勝 大地への筆触」展を拝見しました。入館にはマスク着用必須、チケットは1時間単位で事前購入で、人数を制限しています。購入したチケットは10時〜11時のものなのですが、注意書きに「当日少し遅れても入場頂けます」の記載、緩い優しさが良いです。

1937年東京練馬生まれ、32歳で夭折した神田日勝は、北海道十勝鹿追で開拓生活を送りながら独学で絵を書き続けたアーティスト。チラシの一面にも使用されている絶筆、未完の『馬』『室内風景』が有名ですが、その他の作品をじっくり見るのは初めてです。ほぼ年代順に展示されており、如実に変化していく画風を追えるのが楽しい。

最初の展示は自画像のような人物が登場する、茶や暗い赤が基調の絵が多いです。靴、足、バケツ、ゴミ箱、空き瓶、配管など使用され、そして残された物が数多く登場し、想像力を掻き立てます。『飯場の風景』はストーブを中心に、右奥にL字型に寝転ぶ人物、左側に体育座りの無表情の人物(自画像っぽい)が描かれています。グレイのストーブと赤く燃える火が強調され、周りに缶詰、瓶、紙くずなどが配置された構図がお見事。138.2×183.5cmの大きいベニヤ板に描かれており存在感が凄い。7尾のシシャモ(あまり美味しそうでない)が干されたもう1つの『飯場の風景』も気に入りました。

階を移動して「牛馬を見つめる」というコーナーで最初に展示されていた『開拓の馬』は、北鹿追神社から依頼され、絵馬として奉納されたもの。ほぼ似た構図の『馬』、「プロローグ」の『痩馬』よりずっと好きな絵でした。ずんぐりした体型で頭の大きな農耕馬の眼差しは優しく、ペインティングナイフによる荒い毛並みが厳しい大地で生きる力強さを感じます。周囲に置かれた物もバケツと床材の切れ端のみでシンプルなのも素敵です。少年時代に病気で死んでしまった愛馬を思い描いた『死馬』、前足が鎖で繋がれているのは暴れないようにするためか。暗い色調の切ないモチーフではありますが、悲しさや陰惨さは感じず、強い意思と持った肯定的な印象を受けました。

1966年(29歳)からは「画質/室内風景」のカラフル時代、さらに1968年(31歳)からは抽象性が増したアンフォルメル(非定形)の時代へ突入、色使いは明るいですが、絵から醸し出るムードは重く、何だか凄く無理している感じがするぞ。。。絵の完成度はともかくとして、神田日勝という人物の特質がむしろ強調されているような。ガールフレンドなんていたのでしょうか。この流れの完成形が1970年の『室内風景』、新聞紙が一面に貼られた部屋の中に体育座りの青いセーターを来た人物(自画像?)、周りに青リンゴ、魚の骨、赤ちゃんの人形、鞄、定規、灰皿などが散乱しています。ちょっと異様な絵ですが、5mほど離れて見てみると、影が無いので、人物などが浮き上がって見え、より異常さが際立ちます。これは写真では絶対に体感できない感覚!心地良い絵ではないですが、目を離せなくなる不思議な力のある傑作です。

私がもっとも感動したのは、最後の方に展示されていた小品の十勝の風景画2点『扇ヶ原展望』『水辺の馬』、どちらも1969年の作品。『扇ヶ原展望』は淡いブルーの山にグリーンの原っぱの本展示会の中で最も明るい絵、『水辺の馬』は白っぽく塗られた左右に横切る細い川の上部に4頭の馬が描かれています。馬たちも小さく簡易的に描かれており、実際の風景とは多少異なる部分もあるそうですが、そこで生活されていた人にしか表現できないリアリティーが感じられ、32歳とは思えない慈愛に満ちています。40歳で亡くなった速水御舟の絵を見た時も思ったのですが、早くに亡くなる方は精神の年齢を重ねるのが早いのかもしれません。

そして最後に展示されている絶筆、未完の『馬』、ベニヤ板に馬の上半身のみ描かれたもの。この絵の構想と思われるデッサンも展示されていました。1966年の『馬』と比べると、馬の上部に空間があり、この部分に何が描かれる予定だったのか想像するのも楽しい。完成品を見てみたいような見たくないような不思議な作品です。これが傑作と呼ばれていることを神田日勝ご本人はどう思われているのでしょうか(私には傑作とは思えなかった)。

派手さはなく若者向きなキャッチーな画風ではありません(客層もやや高めのよう)が、画家のリアルと迫真を感じる素晴らしい展示会で、東京駅の古い煉瓦の壁面と神田日勝の作品の調和も素敵でした。アートは心の滋養ですね。

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