1月定例公演 狂言『松囃子』能『弱法師』国立能楽堂

1月定例公演 狂言『松囃子』能『弱法師』国立能楽堂
国立能楽堂で能『弱法師』を拝見しました。少し早く付いたので喫茶店「泥人形」で時間を潰そうと思ったら、まさかの漏水のため臨時休業!泥人形が水に弱いのは当然かと妙に納得したのでした。

配役
1月定例公演 狂言『松囃子』能『弱法師』国立能楽堂

狂言『松囃子 (まつばやし)石田幸雄(和泉流)』
松囃子とは、年頭に福を祝って行う芸事。主役の万歳太郎という名前がすでにめでたい。内容は同じ状況は有りえないとして、忘れられていたことを本人に直接言えず、何とか思い出させようとするという状況はあるある。東京03のコントにも有りそうな内容です。後半は万歳太郎の鞨鼓と笛、ぴょんと両足で前に飛ぶ所作が面白い。最後は鼓、太鼓も加わりめでたく舞納めます。「くわっと栄えた」という表現や「しゃっきしゃ しゃっきしゃ しゃきしゃき しゃっきしゃ」という掛け声も印象的、愛らしいキャラクターに癒されました。

能『弱法師 (よろぼし)朝倉俊樹(宝生流)』
弱法師は「よろぼし」と読み、よろよろ歩く僧の格好をした乞食の事。要は悪口ですね。下村観山の『弱法師図』を見てからずっと拝見してみたかった演目。俊徳丸は長者の息子なので、橋掛り途中で放つ最初の台詞からして教養が漂う。しかしショックで盲目になるなんて、繊細過ぎます(俊徳丸伝説では継母の呪いにより失明)。比目はヒラメのこと(正確に言うとヒラメ科でなくカレイ科のシタビラメのことか?)。もとは中国の伝説上の、一つ目の、2匹並んでいないと泳げない魚で、仲のよい夫婦の例えにも。俊徳丸の衣の袖に梅花が降りかかり、香りを愛でる様子、「花の香の聞こえ候」という素晴らしい表現は只者で無さを感じます。俊徳丸が自分が捨てた息子だと気付いた通俊は日想観(じっそうがん)を勧めますが、この時の2人の会話も気が利いている。日想観により淀川に掛かる長柄橋、淡路絵島、須磨、明石、紀伊の海まで見えるようになった俊徳丸、「満目青山(ばんぼくせいざん)は心にあり」という地譜に合わせ胸にそっと手を当てる動きは感動を覚えます。

その後の、人にぶつかり倒れ、笑われる部分は一般的には日想観の後の現実ということですが、個人的には回想であり、「もうこれからは狂わない」と杖を捨てる所作は、弱法師として生きた辛い過去との決別だと思いたい。そして、父に手を引かれ高安の里に帰った弱法師の幸せを心から祈りたい。最後は地謡の「高安の里に帰った。高安の里に帰った」に合わせた父通俊の扇を降る凛々しい所作で締める珍しい終わり方でした。

華やかな舞などといった盛り上がりは全くありませんが、世阿弥の息子観世元雅による美しい詞章、弱法師の哀れさが際立つ、しみじみ心を打つ演目でした。そういえば今日の地謡さん達はプラスチックのマスクでしたね。あと弱法師の専用面!面も目を瞑っているので、視界ほとんど無いのでは?能楽師って凄いです!

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