11月普及公演 狂言『樋の酒』能『俊寛』国立能楽堂

能楽「11月普及公演 狂言『樋の酒』/能『俊寛』」
国立能楽堂の狂言『樋の酒』/能『俊寛』を拝見しにお伺いしました。歌舞伎、文楽でも『平家女護島(俊寛)』を拝見しておりますので、オリジナルに興味津々です。

11月普及公演 狂言『樋の酒』/能『俊寛』

まずは存じ上げませんでしたが作家の林望さんの解説から、訥々とした口調は、授業の面白くない国語教師みたいでしたが、とても興味深いお話でした。平家物語で俊寛が大きく取り上げらているのは「鹿ケ谷」、「足摺」、「有王」の3つ。俊寛の性格描写としては、まず祖父は京極源大納言雅俊(きょうごくみなもとのだいなごんがしゅん)という増で怒りっぽい変人、その血を引き継いでいるという。ちなみに雅俊は『宇治拾遺物語』にも登場します。自宅にある『平家物語/尾崎士郎訳』では俊寛を「荒々しい気性、人を喰った傲慢さ、陰謀好きの事件屋」と描写しています。平家物語の「足摺」は鬼界ヶ島の場で、題名は赦免船が俊寛を残して出る時に、足摺=地団駄を踏んで激しく嘆いたことによりますが、歌舞伎はもちろん、能でもこの表現は廃されています。また舞が一切無いのも珍しいとか。

狂言『樋の酒 (ひのさけ)/シテ:野村万禄(和泉流)』
樋は「とい」のこと。雨樋とか流し素麺の時に使うものを想像するとわかりやすいです。お馴染み家主が出かけた間に酒を飲み、騒いじゃう演目です。何も考えずに楽しいです。「浮世を忘るるも ひとえに酒の徳とかや」

『俊寛 (しゅんかん)/シテ:岡久広(観世流)』
赦免状を懐に持った平清盛の臣下が、船乗りと共に、鬼界ヶ島に向かうところから始まり、鬼界ヶ島の場へ。硫黄が島を「祝うが島」と掛けて、島内は熊野三社を勧請し、熱心にお参りしている丹波少将成経、平判官入道康頼に対し、島で一生を終えると諦めの境地となっている俊寛。3人で水を酒と見立て、菊の節句、重陽を祝い嘆きます。そこに赦免使登場。俊寛が赦免状を受け取りも、自分では読まず、康頼に読ませる余裕だが、自分の名前は無い。その後、取り乱しながら泣きっ放し!「夢ならば、覚めてくれ覚めてくれ」の地謡で手をぶんぶん振る動きは能では珍しい動き。「他人の嘆きは振り捨てて」船に乗る2人、何とか薩摩までと追いすがる俊寛に船乗りは櫂を振り上げます。さらにとも綱に捕まるも振り捨てられ、船は虚しく出航。流石に同情した3人は「必ず帰京できる」と叫び、そのうちに船の影も形も見えなくなります。終。

何にも無い鬼界ヶ島でどう生きていたかというと、豪族の子孫であった丹波少将成経の親類から届く食料に頼っていたという。さらに一緒に届く手紙から京都の様子も知ることができたらしい。平家物語によると俊寛の息子は病死、その1ヶ月後、女房も後を追う様に死に、俊寛が執行を勤めたいた法勝寺の僧たちは清盛の怒りを買い惨殺されたという。成経がいなくなるのは、食料も情報も絶たれるということ。

俊寛は、きっと2人、特に信心深い康頼には好かれてなかったと想像されます。専用面の「俊寛」も皮肉そうな雰囲気が漂っている。能の最後、俊寛が横を向いて、がっくりと膝を付き終わるのですが、この時俊寛からは絶望、羨望、恨みなど負の感情しか感じられない。シテの岡久広さんがゆっくり橋掛りを歩いて揚幕へ消えていくのですが、俊寛のいた場所には俊寛の残像が見える。やっぱり能凄いな〜。昼の公演だったのですが、業や因縁を強く感じさせられる代わりに、希望が全く感じられないため、1日憂鬱になります!研ぎ澄まされる感覚、このカタルシスが堪んない。能楽の表現、マジでえげつないですが、それがとても素晴らしい!!

平家物語ではその後、成経らの「きっと帰京させる」という言葉を信じてボロ屑のようになりながらも生きていた俊寛の元へ、俊寛を慕う若者「有王」が島に行き、娘の手紙を俊寛に渡します。色々な事実を知らされた俊寛は断食による自殺を決意。37歳で亡くなったそう。実は若い俊寛です。今日、とてもリアルな『俊寛』を体験した感じがいたします。

コメント

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