能楽公演2020-新型コロナウイルス終息祈願-狂言『川上』能『安宅』国立能楽堂

能楽公演2020-新型コロナウイルス終息祈願-狂言『川上』能『安宅』
「葛城 大和舞(かつらき)本田光洋(金春流)」

葛城の神は役の行者の頼みで葛城山と大峯の間に橋をかけようとして失敗し、怒った役の行者に蔦葛で縛られてしまったという悲しい神様。しかも何故失敗したかというと、自分の醜い顔を見られないように夜しか作業できなかったから。このお話の役の行者、嫌な奴です。舞は素晴らしく、最初はツル植物に縛られて手足が不自由そうに、後半では少し自由な動きに、夜明けになり扇で顔隠す所作も切ない。囃子も神楽の音に近いのが興味深い。とても素敵でした。

狂言「川上(かわかみ)野村萬(和泉流)」
月見座頭と同じく盲人が主人公、10年前に眼病により、にわかめくらになった男が、目に効くという奈良県吉野郡川上村の金剛寺にお参りに行くと目が見えるようになります。ただ、その条件が妻と離縁すること。「黒い涼しい目」になったことを喜ぶ妻ですが、条件を告げられると豹変、絶対に離縁はしないと怒りだします。まぁ一回見えるようになった目を、また見えなくするなんて酷いことは仏様もしないだろうと高を括っていると呆気なく再び「白いどんみりとした目」に。杖を捨ててしまったため、妻に手をひかれ、家に帰る男なのでした。と月見座頭同様、笑うに笑えないお話です。

野村萬さんの盲人の表現は見事で、石段に躓く動き、杖による石段の描写などなど素晴らしい。「ほぉーっ、ほぉーっ」という寝る(いびき?)表現も楽しく、離縁の条件を知った妻の「焼け地蔵くされ地蔵!」と言い放つ激烈ぶりも凄い。最後の謡いは「これは夢かやあさましや。夢かうつつか 寝てか覚めてか あら定めなき世かな。宿執に目のつぶるるとは 今身の上に知られたり」は、丁度、高樹のぶ子さんの『小説伊勢物語 業平』 を読んでいたこともあり「君やこし 我やゆきけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てか覚めてか」を連想させます。

有原業平からの連想ではないですが、例えば「私と別れて、良い女とすぐに再婚するんでしょ」というような妻の言い方から考えると、狂言の方の昔男も、きっと目が見えていた頃は、女性から引く手数多もモテ男だったと想像されます。仏様は妻の方に味方したということか。退場の際、橋掛かりで一度男が振り返るのですが、特大の未練を感じさせて面白い。狂言は単に笑いというだけでなく、どんな人間も肯定する大いなる人間賛歌なんですね!素晴らしい!!

能「安宅 勧進帳 滝流之伝(あたか)(観世流)」
シテ:観世銕之丞
子方:谷本康介
ワキ:福王茂十郎
笛:竹市学
小鼓:林吉兵衛
大鼓:國川純

すっと見てみたかった「安宅」を初鑑賞。これで歌舞伎「勧進帳」、文楽「鳴響安宅新関」とコンプリート。こういった感じの能の演目は初めて見たでしたのでとても興味深く拝見しました。小書「勧進帳」でシテが独吟(昔はツレとの連吟が多かったそう)、「滝流之伝」で弁慶の舞が少し変わります。セリフが非常に多い上、衣装なども歌舞伎より地味、現実感の強く、とても分かりやすい演目です。シテの弁慶は直面、観世銕之丞さんの威風堂々としたニンは弁慶そのものではないですか!義経一行は12人で通常その通りの数の演者が出るようですが、今回は密を回避するためか歌舞伎の「勧進帳」と同じ5人。「勧進帳」よりも劇的ではありませんが、気迫と迫力は歌舞伎を上回ります。弁慶の装束を整える間の小鼓と大鼓も連打で場を盛り上げ、山伏問答の場面は、「安宅」では弁慶一行による勤行に。ここ、滅茶苦茶格好良いです。

能では弁慶一行の前に関を通ろうとした山伏4〜5人が首を切られて殺されています。勤行の中の詞章に「生き仏ともいうべき山伏を、討ち取ると、熊野権現の罰を受ける」というようなものがあるのですが、冨樫はかなりビビってると想像されます。その後の勧進帳読み上げの場面では、冨樫が勧進帳を覗くような様子も見られますが、歌舞伎ほど大げさではなく、極控えめ。義経打擲の場面でも、狼狽してあわあわする一行に対し、弁慶の冷静さが際立ち見事。顔の表情を一切作らない分、こちらの想像(妄想)力を引き出す能の良さではないでしょうか。義経を子供が演じるのは、哀れさを増すためだとか。何とか関を通り抜けた後、安心した一行に酒を振舞おうと追ってくる冨樫、弁慶の延年の舞「鳴るは滝の水」。この流れはもうお馴染みです。席から見ていても弁慶圧が凄いのですが、冨樫はもっと強く感じていることでしょう。弁慶、鬼怖です。ちなみに弁慶の口癖は「言語道断」のよう。今では単に四字熟語のイメージですが、元は仏教用語で「奥深い仏教の真理や究極の境地は言葉では言い表せない」ということです。

歌舞伎では冨樫は義経一行であることを知っているというのが定説ですが、能では、最後まで疑いながらも弁慶の気迫に負け、確信は持てていないような雰囲気。山伏と信じ込ませるための決死の勤行、勧進帳も現実味があるのが効いており、酒を振舞うシーンも単に弁慶に感服したためと思えます。冨樫の歌舞伎と違い、能は五分五分の対立構造はあり得ず、ワキ冨樫はシテ弁慶の引き立て役、そして話の進行役という要素が大変強い印象です。

最後、弁慶、揚幕前で一度冨樫の方を振り返り、ゆっくり退場。この後の苦難を感じさせます。飛び六法で華やかに目出度く終わる歌舞伎と違い、「安宅」に限らず悲しみや苦悩などの一見マイナスに思える感情を残すのが能の特徴でしょうか。やはり余韻が素晴らしいです。拝見した側からもう一回見たくなりましたが、次回はいつになることやら。能狂言、最高です!!

コメント

  1. […] 観賞 一.「能楽公演2020-新型コロナウイルス終息祈願-狂言『川上』/能『安宅 勧進帳 滝流之伝』」国立能楽堂 二.「八月花形歌舞伎 第四部 与話情浮名横櫛 源氏店」歌舞伎座 三.「 […]

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