10月企画公演 蝋燭の灯りによる『謡講』能『鉄輪』国立能楽堂

10月企画公演 蝋燭の灯りによる『謡講』『鉄輪』
2ヶ月ぶりに国立能楽堂にお伺いしました。本日は特別企画「蝋燭の灯りによる」能楽鑑賞です。

まずはシテ方観世流、井上裕久さんによる『庶民のたのしみ―謡講―』から。初めて知った「謡講」は、京都で生まれ、能楽の詞章を、朗読の形態で謡い情景を表現するもので、京観世という独特の謡い方や障子、御簾の内で謡うことなどが特徴。当時は、京都の町家で聴衆を集めて謡会が盛んに行われていたそうです。ロビーには「謡講」と書かれた提灯、京都で良く見られるという鍾馗様の瓦が飾られていました。

まずは浦部幸裕さんによる素謡『敦盛』キリから、吉浪壽晃さんによる替謡『蛸盛』。謡講は日が落ちてから深夜まで延々行われるそうで、途中で替謡や謡の中で「の・む・か」を言ってしまったら酒を飲まなければいけない、などのお遊びが行われていたそう。『蛸盛』は板前の次郎に蛸盛という名前の蛸がお刺身されてしまう話。最後は蛸盛ちゃん、山葵を付けて食べられてしまいました。爆笑。

続く『老松』クセは影絵と組み合わせたもの、詞に合わせて情景が色々変わるものかと思っていたら全然違いました。井上さんも期待しないでね。って言ってたしね。和紙に浮かんだ松の影が「この松にわかに大木となり」の所で大きくなる、だけ。。。終わった後の「お粗末でした」の挨拶が最高。

最後は疫病退散を願う『鍾馗』で真面目な「謡講」をご披露いただきました。蝋燭の灯りの中、とても厳かな雰囲気が素晴らしい。「謡講」は夜開催されるものなので、煩い拍手は禁止、その代わりに良かった場合は「よっ」と声を掛けるそう。京都だけとは言わず、町中でこんな譜が聞こえてきたら、さぞ趣深いでしょうね。

『鉄輪(かなわ)(宝生流)』
シテ:武田孝史
ワキ:江崎欽次郎
笛:杉信太郎
小鼓:後藤嘉津幸
大鼓:柿原弘和
太鼓:田中達

新しい女の元へ行ってしまった夫を前妻が鬼になって、呪い殺そうとするのを安倍晴明がなんとか阻止するという凄い内容。前シテの面「曲見(しゃくみ)」は静嘉堂文庫美術館所蔵の貴重なものだそう。12月6日まで「能をめぐる美の世界~初公開・新発田藩主溝口家旧蔵能面コレクション」展開催中!行きたいけど、二子玉川の向こう側って遠過ぎ。

シテが登場するまでの次第の囃子が非常に長いのは京都の中心から10km以上離れており、山中にある貴船神社までの道のりを想像させます。そこに毎晩通っているという女の情念が凄い。丑の刻参りは午前1時から午前3時の間に行われるもので、頭に鉄輪(五徳)を被り、3本の蝋燭を立てるのが作法だそう。橋掛りの七三辺りでの女の語りが非常に長いですが、囃子が鳴っているので、非常に聞き取りにくい。が、そもそも聞かせる気がないのねといつも納得。蝋燭の灯りのせいか面の力かわかりませんが、口が動いているように見えるのが怖すぎる!社人に願いが叶ったと告げられた後、顔色が変わり、緑の黒髪は空へ向かい逆立つのですが、ここが一番怖かった。被っていた笠を投げ捨て、足早に帰っていくのですが、そのちょっと前傾姿勢な後ろ姿がめちゃくちゃ怖いのなんのって。

後半は一畳台、祈祷棚が用意され、夫の悩みに応えた安倍晴明の祈祷。その後鬼女登場。祈祷の後、安倍晴明は舞台後方に座っているだけで何もしない。後シテの面「生成(なままり)」は般若になる一歩手前のお顔、使われる曲は非常に少ないという。この面が怖さもあるのですが、悲しそうにも見えるのが堪らない。道成寺もそうですが、怖さよりも哀しさが勝る。ちなみに御幣に憑依し守護した三十番神とは、最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、熱田大明神、天照皇太神、春日大明神など毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のこと。打杖を首の後ろに固定し、力が無くなった(目に見えなくなった)様子を表す。最後は目に見えない鬼となるも、橋掛り途中で一度振り返るのが切ない。

色恋沙汰においては、愛情があるから憎悪するのだという事実が明確に意識されました。そしてもし夫を呪い殺せたとして、女は成仏できるとは思えません。どっちにしたって胸が締め付けられる悲しみを想像いたします。お能は余韻の味わいがとても奥深い。蝋燭の灯りでの上演にぴったりの幻想的で哀切的な『鉄輪』でした。

コメント

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