神保町シアターで開催中の「生誕百年記念 映画女優・原節子――輝きは世紀を越えて」で、映画『山の音』を拝見しました。最初楽しい場面もあるものの、どんどん状況が暗くなり、いつか好転する、いつか好転する、このまま終わる訳ない、と期待しながら見ているとそのまま終わるという、とても切ないけれど心に残る映画。ヤルセナキオとは巧く言ったものです。
配役
尾形信吾:山村聡
尾形保子:長岡輝子
尾形修一:上原謙
尾形菊子:原節子
相原房子(信吾の娘):中北千枝子
谷崎英子(秘書):杉葉子
絹子(浮気相手):角梨枝子
池田(絹子の同居人):丹阿弥谷津子
舞台は鎌倉、(義)父と娘の恋愛という状況も若干小津安二郎監督の『晩春』のようであり、山村聡を笠智衆、中北千枝子を杉村春子に変えれば、小津作品とも思えそうな作品。ただ原作は未読ですが、川端康成らしい不自然な自然さと変態性、全ての女性キャラが立っており、輪郭を明確に感じる点は成瀬監督らしいと感じます。
前半は笑える部分もあり見ていて楽しい。原節子さん演じる菊子は自転車に乗って登場。夫修一の両親の家に住んでいます。ただその夫の浮気しており、菊子に全く優しくありません。夫役は『めし』に続いて上原謙さん、やなヤツやなヤツやなヤツ!山村聡さん演じる義父は菊子にとても優しく、お互いに微妙な気持ちを抱えているよう。仕事からの帰宅時、近所の魚屋で義父は、同じ会社で働いている修一が夜遅くなるのを知っているため、サザエを3個買ってきます(菊子は伊勢海老と車海老を買っていて縁起良さげな食材ですが)。夕食シーン、サザエが3個しかないため、菊子は1個は夫のために残しておき、義父母で1個をシェアするように用意します。ただ義父が「ワシも1個食べたい」ということで、結局夫に残しておいた分が義父へ。源氏物語の「雨夜の品定め」を連想させて、何やらエロティック。原作が川端氏でなければ、きっとこんなことは思わないでしょうが。
義母役の長岡輝子さんが、この映画では癒される存在、大いびきをかきながら寝ているシーンがあり、山の神=妻ですから、なるほどこれが「山の音」の由来?と思わせ笑わせます。原節子さんの萌え場面としては、「江の島の茶店」ととぼけて下先をペロッと出すシーン、「ヘイ!承知しました」と魚屋の真似をするシーン、猫の泣き真似、エプロン姿など。菊子に先駆けて鼻血が出そうです。次いで嫁いだ房子も夫に我慢できず実家に帰ってくるのですが、自虐的、コンプレックスの塊、口が悪く、キャラが強烈でなかなかのアクセントに。でっかい赤ん坊と小学校くらいの娘がいるのですが、菊子の「メッ!」という全く怖くなさそうな怒り顔も全く効果なく、嫌われているのは母が、菊子の良くない情報を娘に、おそらく意図的ではなく無意識に、吹き込んでいるためでしょう。そして重要アイテムは義父が手に入れる「童子」の面、能面は角度により表情が違って見え、菊子の父に対する笑顔と夫に対する暗い顔の両面を暗示、菊子の名前から『菊慈童』を連想させますが、その後の妊娠騒動にも繋がる気がいたします。
そして嵐の夜停電し、家を見回る菊子と父のすれ違い、極め付きは鼻血シーン、顔色が悪い時に見える額の傷跡、か〜わ〜ば〜た〜、妄想力全開でエロ過ぎるぞ。登場人物が、こぞって風変わり、菊子にしろ善人に見えても実は変わっていて普通ではない。成瀬色より川端色が強い印象です。夫の鬼畜ぶりは終盤になるにつれ強くなり、そのまま更生せず終了。上原謙さん好感度下がりまくり。原節子さん贔屓としては、酷い言葉を浴びせられる度、菊子が暗い表情を見せる度に歯が砕けそうになりました。
菊子が義父に離婚の告げる、最後の秋の東京の公園の場面は本当切ない、ただ最後の台詞が素晴らしい。この公園は広く見えるという義父に対し「ビスタに苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって」「ビスタってなんだ?」「見通しっていうんですって」、どんな状況であっても、見せ方次第で変わることもできるという淡い希望を感じられる美しいラストシーンでした。映画としては『晩春』の方が好きですが、原節子さんにスポットを当てれば『山の音』は表情豊かで本当に素晴らしかった。出来ればハッピーエンドで終わって欲しかったな。原さんには笑顔で居て欲しいのです。2度目はまた違った発見が有りそうな、また見てみたくなる1本でした。
また義父を演じた山村聡さんと息子の修一を演じた上原謙さんが1歳違いというのは、後で知って驚きでした!『生きものの記録』の三船敏郎さんより、ずっと自然でしたね。凄い。そして思ったより長編な原作も、既にKindleで購入したので拝読したいと思います。
コメント