6月に開催予定でしたが、延期になった第14回日経能楽鑑賞会にお伺いしました。キャンセルになった分を、どう販売したのか不明ですが、6割ほどの入り。通常であれば完売しているはずの企画なので、少し寂しい気も。
狂言『悪太郎 (あくたろう)』和泉流
配役
シテ(悪太郎):野村萬
アド(伯父):能村晶人
小アド(僧):野村万蔵
以前野村萬斎さんのシテで拝見している演目ですが、わかりやすくて楽しい狂言です。いちゃもんを付けて酒を要求したり、同じ事を何回も言ったり、酔っ払って危ないもの(薙刀)を振り回したり、大声で歌い出したり、路上で眠ったり、酒飲みのよくない部分が上手に表現されています。私のような酒好きは、分かる分かる!と微笑ましく思いながら、同時に反省。。。ちなみに悪太郎が酔って歌う「ざざんざ 浜松の音は ざざんざ」は、六代将軍足利義教が浜松で宴を催した際に自ら詠ったものだそう。酒臭いという意味の「熟柿臭い(じゅくしくさい)」って言い方も面白い。寝ている間に伯父に髪と髭を剃られて坊主姿にされた上、名前が「南無阿弥陀仏」と吹き込まれた後の、僧との掛け合いは笑えます。最後は「今よりは思い切り ただ一心に弥陀を頼みて 念仏申して帰りけり。」という、時間を超越し悟ったような2人の歌の掛け合いで終了。正面2列目で拝見したのですが、野村萬さんの荒い息遣い(口は絶対開けない)が聞こえます。御年90歳、舞などはありませんが、悪太郎は動きの多い狂言で、上演時間も45分と長め。その鍛錬、凄過ます。
能『綾鼓 (あやのつづみ)』金剛流
配役
シテ(老人・老人の精):金剛永謹
ツレ(女御):金剛龍謹
ワキ(廷臣):殿田謙吉
アイ(従者):野村万之丞
笛:杉信太朗
小鼓:曽和正博
大鼓:安福光雄
太鼓:三島元太郎
『綾鼓』は、2018年4月の靖国神社「夜桜能」で宝生流の田崎隆三さんのシテで拝見しております。比較ができると楽しいですが、記憶が。。。新鮮な気持ちで拝見いたします!
それにしても凄い話。御幸の際、高貴な女御に一目惚れした庭掃きの老人がシテ。舞台、正面前方に桂の木の作り物が置かれるのですが、葉が鬱蒼と茂っており邪魔!客を舐めてるお能らしくて良いです。皮ではなく綾織を貼った鳴るはずのない鼓が、皇居まで聞こえたら会ってあげるという無理難題。老人の見た目はしょぼくれていますが、激しく、力いっぱい鼓を打ちます。しかし、どんなに頑張っても鳴るはずもなく、嘆いた挙句、池に飛び込み死亡。絶対に鳴らないと気付きそうなものですが、庭掃きの身分なので本来の鼓を間近で見た事がなかったのか、恋は盲目ということなのか。入水は橋掛りで表現、よくある感情的な若者ではなく、生い先の長くない老人の死というところが、生死の問題ではなく、なおさら恋の力の強さを強調するよう。とても切ない前半です。
後半から女御が登場。台詞もあまりありませんが、近くにいる臣下には聞こえない鼓の音が聞こえ、正気でない感じがもの凄く伝わりました。後シテの面は大悪尉(おおあくじょう)、あの穏やかそうに見えた老人が、装束も金ピカでこんなになっちゃうとは!?揚げ幕でたっぷり姿を見せた後、杖を付きながら、滅茶苦茶ゆっくりな歩みが恐ろしい。同じリズムで小さく定期的に打たれる太鼓と杖の音、歩みがリンクしてるのが恐怖を助長。杖を打杖に持ち替え、鼓を鳴らせと女御を攻め打ちます。池の周り地獄絵図となってからは、激しい舞へ移行、「波の上に鯉魚のように踊る悪蛇のような姿で現れる」と詞章にもありますが、鱗模様の衣装が使われているのが細かい。動きも鬼気迫るものがあり、女御をキッと睨む動作も極まっている。最後は「恋の淵」へ入ってゆく老人。また出る気満々なのでは。
後半は瞳孔開きっぱなしで、目が離せないというか、瞬きするのも勿体ないくらいの激しさ。他の芸能と違い鑑賞後、腹にズシリと重みが残る。怒りや恨みの中に、老人の悲しさも感じる。恋の恨みは恐ろしいね、というだけでは全く収集不能!恋にはそれだけ強い力があるということでもあります。入水してしまうのは切ないですが、いくつになっても激しく恋することのできる老人が羨ましくもあるる。年の差と身分と高すぎる二重の壁が存在する恋、女御は綾鼓を打たせようとした時から正気でなかったと言っていますが、本当にそうなのでしょうか?ひょっとすると悪戯心だとしても、まさか死んじゃうとは思ってないでしょうね。亡霊とはなりながらも、女御に会うことができた老人、攻め打つのは快感だと思えなくもない。老人は恋の淵から抜け出すのは大変難しそう。因果応報、抜け出した時にはきっと女御も救われるはず。
また似たモチーフの『恋重荷』も拝見してみたいものです。果てしなく深いです。
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