『死刑台のエレベーター(1958年 監督:ルイ・マル)』国立映画アーカイブ

「第41回ぴあフィルムフェスティバル」の企画「巨匠たちのファーストステップ Part4~長編デビュー作大集合~」にて鑑賞。勝どきツタヤでもレンタルされているのですが、何故かブルーレイディスク1枚きりしかないため見れず、気になっていた映画です。

影のかかったジャンヌ・モロー演じるフロランスの顔のアップ、「ジュテーム」の応酬から始まるオープニングが面白い。なんとこの時30歳というジャンヌ・モロー、前半ふてぶてしい印象を受けましたが、待ち合わせ場所に来ないジュリアンを探しに、マイルス・デイビスのしっとりしたメロディをバックに街を徘徊するシーンが素晴らしく美しい。ただ歩くだけでこれほど絵になる女優も少ないのではないでしょうか。通り過ぎるフロランスへの人々の鋭い視線も理解できる。こんな綺麗な人がふらふら歩いていたらガン見です。

元フランス軍落下傘部隊の大尉だったジュリアンはうっかりミスからエレベーターに閉じ込められ、9階で止まってしまったエレベーターの下にロープにぶら下がるのですが、勇気ありますね(無謀!)。急にエレベーターが下に動き出して危うく潰されかけるシーンはドキドキしました。そしてもう1つの映画の核となる花屋のベロニカと彼氏のルイの車を盗んで、2人のドイツ人を殺害し、睡眠薬で自殺を計るという若気の至りっぷりは、ここまでストレートだと気持ちいい。

ラスト、警察に全てが発覚した後のフロランスの「無意味な時間が過ぎていく」という台詞が心に染みる。女性にとって若く美しい時代の重要性、この映画の中でずっとすれ違っていた二人の仲睦まじい写真を撫でるフロランスの手つきは達観した優しさ。写真の中に閉じ込められた二人は永遠に変わらないというフランス映画らしいアイロニーを感じます。

登場人物が皆ちょっとお惚けでストーリーはシンプルですが、ジャンヌ・モローの存在感はが肝。劇中の台詞にもあった「ラシーヌ的悲劇」を監督が目指していたのかどうかはわかりませんが、これが1958年の、そして監督が25歳の作品だと考えると驚愕です。

ジャンヌ・モロー、マイルス・デイビスの音楽、ストーリー以外にもチラッと出てくる不吉な黒猫、ルノーのべべ、ミノックスの小型カメラ、パタパタ時計、ベロニカの部屋のインテリア(象のババール、カレン族の写真とか)、新聞に殺人犯として写真が掲載されたジュリアンに「この人だ!」と言っちゃう子供のメガネとか色々お楽しみの多い映画でした。

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