12月普及公演 狂言『猿聟』能『舎利』国立能楽堂

12月普及公演 狂言『猿聟』能『舎利』国立能楽堂
国立能楽堂の月間特集「所縁の能・狂言-勧進能-粟田口勧進猿楽」を拝見しました。まずは「能楽の新時代―勧進能の舞台空間を想像する―」ということで、解説は見た目や話し方も真面目先生な法政大学能楽研究所教授の宮本圭造さん。

粟田口は現在の京都円山公園辺り、「粟田口勧進猿楽」は1505年に金春太夫・金春禅鳳が中心となって行ったもの。応仁の乱後のこの時代となると、観客も武士中心から、町人や商人、足軽などの下級武士となった。それに伴い演目も華やかで分かりやすい風流能(ふりゅうのう)と呼ばれるものに変化していったという。ちなみに『猿聟』は能『嵐山』の間狂言として演じられたもの。『舎利』は1464年に音阿弥により演じられたのが最初、その後何故か観世流では演じられなくなり、現在では主に金春流で演じられている。金春流で演じられている理由として、金春家には舎利が伝えられているという噂も(舎利は家に景気に合わせて増減するそう)。

配役
12月普及公演 狂言『猿聟』能『舎利』国立能楽堂

狂言『猿聟(さるむこ)茂山宗彦(大蔵流)』
吉野山に住む聟猿が、嵐山に住む舅猿に聟入り(結婚後初めて舅の家を訪れる儀式)するお話。会話はほとんどが「キャキャ」などという猿語で進行。顔の横も茶色の布で覆われているので皆様ほぼ猿、手放しで楽しめる。囃子も並ぶのですが、その至極真面目な表情との対比も爆笑。基本的に歌は人間語で歌えるようだ。飲んで唄って踊って皆んな幸せ、とても幸せな気持ちになる演目でした。

能『舎利(しゃり)金春安明(金春流)』
こちらもとてもシンプルな話、京都東山の泉涌寺(せんにゅうじ)に祀られている牙舎利(釈迦の歯の骨)、それを足疾鬼に奪われますが、それを韋駄天が取り返すお話。

前半はゆっくり進行しますが、怪しい里人が舎利を拝むとみせかけ奪取、台座を蹴飛ばす(流派によっては踏み潰す場合も)のは、天井を突き破るという意味か。後半は囃子も非常に激しく、特に早笛が凄い!韋駄天の面は大天神(おおてんじん)、怖いというよりは親しみの湧く表情、橋掛りをいっぱいに使って足疾鬼を追い詰めます。前半で舎利が乗っていた一畳台で天空を表現。最終的には韋駄天に叩きのめされボコボコにやられる足疾鬼が可哀想になりました。。。面は顰(しかみ)という鬼のですが、親に怒られる子供のような不服そうな表情に見えるのが楽しい。困らせてやろうとか、悪意はなく純粋に舎利が欲しかっただけだと思うのです。韋駄天の顔も見ずに舎利を差し出す様子はもはや可愛らしい。悪いやつでは無さそうなので、きっと後に羅刹天となったと信じます。ちなみに前シテの面は怪士(あやかし)でした。

いつもと違う壮大なお話でしたが、こういうのもたまには良いかもしれません。やはり能はテクノロジーを使わないVRだと強く感じる今年最後にぴったりのアゲアゲでスペクタクルな演目でした!

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