紀伊國屋ホールで『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』を拝見しました。全部で2時間くらいかと思っていたら2時間30分、休憩15分、1時間の長丁場でびっくり。予備知識なく、役者は、松也君以外はほぼ初見。1945年3月にニューヨーク・ブロードウェイ初演された古典作品、テネシー・ウィリアムズと言えば映画『欲望という名の電車』くらいしか接した記憶がありません。
『ガラスの動物園』
作:テネシー・ウィリアムズ、上演台本・演出:渡辺えり
配役
トム・ウィングフィールド:尾上松也
ローラ・ウィングフィールド:吉岡里帆
ジム・オコナー:和田琢磨
アマンダ・ウィングフィールド:渡辺えり
ミュージシャン/川本悠自(コントラバス) 会田桃子(ヴァイオリン) 鈴木崇朗(バンドネオン)
戦争の音が聞こえ始める1930年代のセントルイス。客席よりトムとミュージシャンたちが登場、トムの独白から舞台が始まります。南部の裕福な家で育った母アマンダは、家族思いですが、過去の栄華のためか空回り気味。理性を無くして言っちゃいけない悪口をつい言ってしまう、こういう人いるいる。ジムの食事会のために引っ張り出してきた黄水仙色のドレス姿、同じ話を何回もするのでトムに早送りされる様子が楽しい。コミカルぶりがバナナマンの日村さんっぽいと感じましたが、日村さんが渡辺えりさんっぽいのか。同じく家族思いのトムは狂言回しのような役割でセリフの多さに感嘆。歌舞伎とは全然違う脳の使い方では。姉ローラ役の吉岡里帆さんは、他演者との比較のためか顔小さっ、そのためか儚い雰囲気が際立つ。こういう人いるよねと感じるトム、アマンダ、ジムに対して、そう感じられないローラの性質。いかにローラを浮き立たせるかが、この舞台の肝なのか。タイプライターの学校もサボり、街を1日ふらついているなど、色んな問題が多いよう。トムに大切な、母が命名した「ガラスの動物園」の動物を壊されて子供のように泣く姿に、不思議な存在感、守りたくなる存在。学生の時から憧れていた、全てが行き当たりばったり、とにかく軽薄、男前なだけにたちの悪いジムにユニコーンの角を折られる。ユニコーンはローラ、馬は普通の人、結局ジムに馬になったユニコーンをあげてしまう。ジムの「現代にユニコーンはいない」というセリフが辛い。ローラとジムのダンスシーンは、途中でトムも加わるなど非現実的だがよくわからない。ファンサービス?最後の蝋燭の件は、やはりレクイエム感が凄い。というかトムが最初に音楽家たちに渡した楽譜がレクイエムだったのか。思ったより短く感じられた2時間30分でした。
『消えなさいローラ』
作:別役実、上演台本・演出:渡辺えり
配役
ローラ・ウィングフィールド:渡辺えり
男:尾上松也
『ガラスの動物園』の最後のシーンから。先ほどまでアマンダだった渡辺えりさんはローラなのかアマンダなのか、足も引きずってないし、キャラも違うし。先ほどまでのローラと違い、絶対に関わりたくない人物。寄り添う2人の亡骸が提示されるにつけ、結局はこの世のものではないもの、アマンダとローラの融合体のようにも思える。紅茶をふるまう件は、アマンダの行動が無茶苦茶で爆笑。夢を追いかけたトムは、ワインボトルのコルクを喉に詰まらせて死亡。先ほどまでトムを演じていた松也君がそれを言う、実はこの人がトムなのではというもやもや。なんでローラはこんな姿になってまで、成仏はできないとしても、存在する意志が残っているのか、本当にタイトル通り、ローラに、消えなさいと言ってあげたい。最後全員で唄うシーンは迫力ありました。
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