令和2年2月文楽公演 第三部『傾城恋飛脚』『鳴響安宅新関』国立劇場

令和2年2月文楽公演『傾城恋飛脚』『鳴響安宅新関』国立劇場

配役
『傾城恋飛脚』『鳴響安宅新関』配役表

一本目は『傾城恋飛脚 新口村の段』です。全二段かならる『傾城恋飛脚』は、近松門左衛門作『冥土の飛脚』の改作で1773年初演。「新口村の段」は下段の後半部分。古手買、巡礼に化けた捕り手が登場する序盤の語りは御簾内で、忠兵衛と梅川が登場してからは、豊竹呂太夫さん、鶴澤清介さんのコンビ。聞き取りやすくて心地よい語りです。このお話は、忠兵衛の父孫右衛門が主役だと思うのですが、孫右衛門にジャストフィットしたお声です。梅川忠兵衛の衣装は揃いで、比翼紋の黒縮緬に流水と梅の裾模様。鍼で母を立て殺したという坊主、針立の道庵が忠兵衛に「母の敵」と影で言われ、クシャミするのは面白い。雪道で鼻緒が切れて転倒した孫右衛門を助けに行く梅川の優しさ。すぐに梅川が忠兵衛の恋人と気付き、障子の裏に隠れた忠兵衛に語りかける所は胸が苦しくなります。梅川の「一目逢うて進ぜて下さんせ」に思わず飛び出してしまう忠兵衛ですが、親といえども息子を見付けてしまったら捕えなければならないので、見ないふり。梅川が孫右衛門に目隠しをする「めんない千鳥」、途中で梅川は目隠しを外して、刹那の再開、すぐに追っ手の声。しかし、別の場所で忠兵衛が見つかったという声が上がり、捕り手はそちらへ(梅川の兄忠兵衛が身代わりとなった、名前が同じでややこしい)。最後は「平沙の善知鳥血の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」。以前拝見したことのある能『善知鳥』、地獄に落ちたウトウ猟師が、怪鳥に苦しめ続けられるという心的ダメージ確実の印象深いお話でした。孫右衛門は子供を猟師に連れ去られる親鳥の心地。忠三郎家が上手に移動し、雪道を追っていく孫右衛門。倒れ、羽織で顔を隠し慟哭する孫右衛門。力強い三味線に、情感たっぷりに伸びやかに語る呂太夫さん、泣きはしなかったものの、危ない危ない。『冥土の飛脚』では、捕まってしまた二人を孫右衛門が呆然と見送るという最後なのですが、此方の方がまだ、救いを残し良いと思います。

二本目は『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき) 勧進帳の段』です。初演は1895年(明治28年)、ベースは能の『安宅』ですが、珍しく歌舞伎の『勧進帳』から移されたもの。弁慶は左遣い、足遣いも出遣いとなります。床には太夫7人、三味線7挺の大世帯で、それだけも大迫力!そして合わせ方が巧い。さらに下手上方の御簾内に笛、小鼓、大鼓の囃子が加わります。舞台はシンプルに松羽目。基本的に詞はそれぞれの太夫に振り分けられますが、地合(情景描写)、節(三味線との語り)が複雑!語り方もいつもと違い、お能のように感じる部分もあり、歌舞伎のように感じる部分もあり、いつもと違う感じ!

幕開きすぐ、名のり笛からの冨樫の登場はお能と同じ。その後「旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖や萎るらん」の語りが始まると早や泣きそうです。。。最初の見所は「勧進帳読上げ」、歌舞伎と同じように、冨樫が巻物を覗き込むような様子が見られます。この場面は三味線の鶴澤藤蔵さんが格好良い!単に三味線の音だけでなく、体を低くした「ん〜っ」という唸りも素敵。人形と語りとの緊張感が堪りません。太夫、三味線、人形の主遣いから左足遣いへ。この複雑なリズムを一瞬で、この一体感でもって行うって凄過ぎますよ!「山伏問答」では、弁慶の豊竹藤太夫さんと冨樫の竹本織太夫さんの熱い闘い。精悍なお顔立ちと語りの織太夫冨樫はドはまり役でしょう。歌舞伎より台詞も聞き取りやすいのも良い。番卒の竹本碩太夫、豊竹亘太夫コンビも笑いを誘って、良い具合に客席をほぐされていました。

冨樫にばれそうになった義経を杖で打擲し、逃れた後は背景に松の生えた海岸に舞台転換。「土にひれ伏し三拝九拝、君を敬い奉り遂には泣かぬ弁慶も一期の涙ぞ殊勝なる」、ほっとして、弁慶が涙を流して謝るも、間髪入れず冨樫が先ほどの無礼の詫びの酒を持って追ってきます。途切れぬ緊張。歌舞伎よりも弁慶の感情の起伏が強く表現されているように思います。まずは盃で、さらに大きな桶の蓋で2杯飲み干した後は、軽妙な動作、続いて「三塔(比叡山延暦寺)の遊僧 舞延年の時の若」からは弁慶の一番の見所である延年の舞。「鳴るは滝の水 日は照るとも たえずとうたり。とくとく立てや手束弓、心赦すな関守の人々」と勇壮に舞いながらも、一行に逃げるように促します。ちなみにこの歌は梁塵秘抄の今様「滝は多かれど うれしやとぞ思ふ 鳴る滝の水 日は照るとも 絶えでとうたへ やれことつとう(四句神歌・雑・四百四)」が初出だそうで、平家物語、源平盛衰記などでも同様の歌を歌う場面が見られるのは興味深い。「とうたへ」は滝の水の落ちる音を表し、能『翁』の「とうとうたらりたらり」も同様。この言葉については諸説あるそうですが、その後に「鳴るのは滝の水」という詞章もあり、説得力あります。この今様は別名「うれしや水」とも呼ばれています。一本目の『傾城恋飛脚』の流水の着物もそうでしたが、流れる水(滝)には苦難や厄を流す、清めるという意味もあり、演技の良いモチーフです。

四天王がはけた後、義経が笠を取り冨樫を見ると、一瞬二人の目が合い、再び顔を隠します。お顔の見始め見納め。冨樫は義経だときっと気付いていること想像されます。冨樫を見送った後は弁慶の最後の見せ場、飛び六法。鶴澤藤蔵さんが糸を掛け直しておられましたので、トラブルかなと思いきや、完璧に弾くために、敢えてだそう。凄い気合い。何気に御簾内の、多分、小鼓の方も唸ってたのも良い。舞と飛び六法は人形遣いの三人とも出遣いのため、なおさら凄い迫力!吉田玉男さんの「ハッ!」って掛け声も素敵。人間には不可能な飛ぶような動きに大興奮!!

1時間の上演中ずっと、弁慶の張り詰めた緊張の糸が途切れないのが素晴らしく、見ている方も絶えずヒリヒリビリビリ。いつもの演目と違い、エモーショナルなバンドサウンドを聞いているようなライブ感が素晴らしかった!人形遣いがヴォーカル、義太夫がギター、三味線がドラムベース、といった所でしょうか。それぞれの大きな見せ場がちゃんと用意されているのも素敵。是非若いバンドマンにも見てもらいたい!と思う文楽です。かなり、エモいです!心の奥底まで鳴響く安宅、最高です!!

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